さて、10月中旬まで溶接の研修、
中旬以降は「後工程」の研修だったが、
どうも10月からの研修の工程では、
重苦しい空気を感じていた。
それをT君に話すと、
「アソコの工場自体に、悪い空気が流れてますからね~」
との事だった。
どうもこの会社は雰囲気が暗い。
何だろう?確かに、ダメな空気が流れている。
今まで働いた会社で、
あんなに暗い雰囲気に遭遇したことがない。
今、敢えてアドバイスするなら、
「もっと明るい会社の雰囲気作りをしなさい」
というのがまず1番に来るだろう。
11月からは最終工程の研修に入った。
ここも雰囲気が暗い。
そんな11月の中旬、
駐在を解かれて日本に帰国したSさんに呼ばれ、
その場で「12月早々にタイへ行くよう」命じられた。
またその際、給料について、もう一度提示された。
月給は7万バーツにアップする。
加えて、住宅手当として25000バーツを支給。
合計95000バーツだから、
駐在員と比較するとそれでも半分くらいだが、
俺が受けた屈辱への謝罪と、マジメに研修を受けた事、
また、部長⇒常務へと提出したレポート類、
商談のキッカケなどを作った功績などを評価するという
意味が込められていたのだと受け取った。
ちなみに当時の為替レートは B=2.7円程度。
さっそく、大学の卒業証明を郵送で徴求し、
ノンイミグラントBビザとWP取得の準備にかかった。
今はBビザ取得の前、或いは同時に
ワークパーミットの申請をするようだが、
当時はBビザを取得し、タイ入国後にWPの申請をするという手順だった。
11月26日に目黒のタイ大使館に行き、
書類を提出して帰る。
2日後に会社宛にビザが貼られたパスポートが戻ってきた。
11月29・30日には俺の送別会が催された。
29日の方では、酔いも手伝って、言わなきゃいいのに、
俺が受けてきた仕打ちをつい喋ってしまった。
人事部の連中と仲のいい人間もその中にいて、
人事課長の発言内容などを聞いて飛び上がって驚いていた。
この平和な日本で、
そんな屈辱的待遇を受けている人間(俺)がいるという事に
驚きを禁じえないようだった。
30日にはタイ人研修生も参加してくれたし、
普通の人たちはとてもいい奴だというのを再確認できた。
屈辱を受けてきたからこそ、
いい奴らと飲んでいると、
友人・仲間のありがたみが身に沁みる。
これはタイに住み始めてからも言えることです。
例え、沈没生活でも、リタイヤ生活でも、
友人が居なければ楽しい人生は送れないのです。
”在タイの友人”はドンドン減っていきますから、
タイでリタイヤ生活を送る事を夢見ている人は、
友達の輪を拡げる事を意識しておくべきです。
(いろんな事情で帰国してしまう人が多いんです)
