2008年10月30日木曜日

思いつきの工場運営

タイの工程・工場・環境に慣れるまで、
よく分からなかったのだが、
とにかくミーティングがやたら多かった。

日本人が作業するワケではないから、
ミーティングが長くても構わないのだが、
タイに現地法人を作って15年ほど経つのに、
まだキチンとした流れができてないようだった。


何もかもが思いつきで決められる。

定時のミーティングや、
週一ペースの日本とのテレビ会議など、
決めるのはいいけど、ほとんど3日坊主である。


作業の注意点など、
デタラメなタイ語で日本人の工程総括責任者Kが喋るが、
カラオケ屋の女にしか通じないヘタクソタイ語で
ワーカーが理解するワケがない。


「今後、リーダーからワーカーに工程説明させるようにしよう。
 『意味が分からなかった』という言い訳をさせないように」

など、

(今頃何言ってんだよ?)

って感じだった。




作業標準書や
機械の操作マニュアルなども無い。


「マニュアルがある機械もある。俺が作った」

と言う人も居たが、

「じゃ、その原本を貸してくれ」

と頼むと「無い」と答える。


アンタがそんなだから、
タイ人ワーカーだってそうなるんだよ、
と言いたいところだが、
もちろんそこまでは言えない。



俺が思うに、
どこかの時点でキチンとした組織や体制を構築しなおし、
シックスシグマを導入すべきだったのに、
全てを思いつきでやるために、ナアナアになっていたのだ。

ま、あの会社でシックスシグマを導入しても
社長が逃げ出すだろうからダメだと思うが。



・・・と、かなり厳しいことを書いたが、
駐在員たちは皆、よく働き、頑張っていた。

毎夜9~10時まで働き、
夕食はサービスアパートに戻ってからなのだ。
(会社を出る時には日付が変わっている事もよくあった)

俺も数ヶ月間は郷に従っていたが、
体がもたないので、ワーカーの夕食休憩時に
俺もクイッティオなどを食うようにした。


思うに、駐在員は皆、
自分の担当範囲をまわす事で一杯だったのだ。

生産がうまく行かないのは、ヤル前から分かっている。
(製造方法の問題のため)

何とかしようとすれば、
自分の前の工程を改善してもらわねばならない。

しかし、それができないこともわかっているから、
上司の罵声にも忍の一字でガマンし、
眼前の問題対応に必死になっているのだ。

前の工程の事を悪く言わない。

そういう暗黙の了解があったが、
それも2004年後半~2005年にかけて崩れさり、
タイ人もそれに右にならえ、となっていった。

ちなみに駐在員は残業代がつく。
しかし、現地採用の俺には1バーツたりともつかない。

正直、早く帰りたい日もあったが、
早く一人前になるためにも、駐在員につきあった。


俺は、品質管理のような仕事をやりながら、
将来的には一部門を任せる、
という方針で育ててもらうことになった。