タイの工程・工場・環境に慣れるまで、
よく分からなかったのだが、
とにかくミーティングがやたら多かった。
日本人が作業するワケではないから、
ミーティングが長くても構わないのだが、
タイに現地法人を作って15年ほど経つのに、
まだキチンとした流れができてないようだった。
何もかもが思いつきで決められる。
定時のミーティングや、
週一ペースの日本とのテレビ会議など、
決めるのはいいけど、ほとんど3日坊主である。
作業の注意点など、
デタラメなタイ語で日本人の工程総括責任者Kが喋るが、
カラオケ屋の女にしか通じないヘタクソタイ語で
ワーカーが理解するワケがない。
「今後、リーダーからワーカーに工程説明させるようにしよう。
『意味が分からなかった』という言い訳をさせないように」
など、
(今頃何言ってんだよ?)
って感じだった。
作業標準書や
機械の操作マニュアルなども無い。
「マニュアルがある機械もある。俺が作った」
と言う人も居たが、
「じゃ、その原本を貸してくれ」
と頼むと「無い」と答える。
アンタがそんなだから、
タイ人ワーカーだってそうなるんだよ、
と言いたいところだが、
もちろんそこまでは言えない。
俺が思うに、
どこかの時点でキチンとした組織や体制を構築しなおし、
シックスシグマを導入すべきだったのに、
全てを思いつきでやるために、ナアナアになっていたのだ。
ま、あの会社でシックスシグマを導入しても
社長が逃げ出すだろうからダメだと思うが。
・・・と、かなり厳しいことを書いたが、
駐在員たちは皆、よく働き、頑張っていた。
毎夜9~10時まで働き、
夕食はサービスアパートに戻ってからなのだ。
(会社を出る時には日付が変わっている事もよくあった)
俺も数ヶ月間は郷に従っていたが、
体がもたないので、ワーカーの夕食休憩時に
俺もクイッティオなどを食うようにした。
思うに、駐在員は皆、
自分の担当範囲をまわす事で一杯だったのだ。
生産がうまく行かないのは、ヤル前から分かっている。
(製造方法の問題のため)
何とかしようとすれば、
自分の前の工程を改善してもらわねばならない。
しかし、それができないこともわかっているから、
上司の罵声にも忍の一字でガマンし、
眼前の問題対応に必死になっているのだ。
前の工程の事を悪く言わない。
そういう暗黙の了解があったが、
それも2004年後半~2005年にかけて崩れさり、
タイ人もそれに右にならえ、となっていった。
ちなみに駐在員は残業代がつく。
しかし、現地採用の俺には1バーツたりともつかない。
正直、早く帰りたい日もあったが、
早く一人前になるためにも、駐在員につきあった。
俺は、品質管理のような仕事をやりながら、
将来的には一部門を任せる、
という方針で育ててもらうことになった。
