9月からは最も”川上”である生産部門での研修に移った。
ここの責任者であるF係長は一見、知的な感じの男だった。
俺の研修スケジュール表を作ってくれており、
今までのチャランポランな対応と180度違っていた。
また、このF係長は、部下からの評判はいいが、
他部署からの評判は最低で、
なぜそうなのか、以前から興味があった。
彼の下で研修してみて分かったことは、
F係長は、普段はマジメでいい人である。
しかし、いくつか理不尽な事を言いつけられ
彼のことは信用できなくなっていった。
また、なぜ他部署から評判が悪いのかも理解できた。
(その詳細は略)
F係長の下での研修も終わる月末に、人事から発表があった。
10月1日から新タイプのタイムカードに変わります、
との事だった。
俺は嫌な予感がしたので、
その日、俺の面倒を見てくれていたSさんに言った。
「今までの対応から察するに、
私のタイムカードは作られてないと思うのです。
きっと忘れられているでしょうから、
念の為、人事課に確認しておきたいんですが」
と。
なるべく早く作ってもらわないと、
(どうせ↑忘れてるだろうから)
また面倒クサイ事になりそうだからだ。
面倒な事も全部、
自分で確認~依頼しなければならないのが
身分の低い現地採用の置かれた立場らしいからね。
すると、SさんはそのままF係長に伝え、
F係長は俺の要望を却下した。
(俺は自分で確認するつもりだったから、
Fの手を煩わす事はないんだけど・・・。
ま、たぶんFは他の事で頭が回らなかったんだろう)
また明朝、人事部に行かなきゃいけないのか、と
「あ~あ、面倒クサイな~・・・」
と思っていた所へ、
ちょうど、人事部のSという女性が
新タイムカードを持ってやって来たのが見えた。
あと数分で定時、という時間だったから、
作業の手を止めて、
人事のS女史とF係長が立ち話しているところへ行き、
「私のタイムカード、ありますか・・・?」
と、訊いてみた。
S女史は
「ありません!今、作ってます。約1週間かかります」
と、ハネつけるように俺に言った。
(なんであんな邪険な言い方なんだろう?)
と思ったが、
(やっぱり忘れていたんだ・・・)
という思いもしていたので、あまり深く考えなかった。
定時で帰る時にタイムカードの棚を見ると、
タイ人研修生の分も新タイプに変わっており、
俺の分だけが古いタイプのままだった。
やはり会社は俺の存在を忘れていたのだ。
日本本社の従業員はたったの400人強である。
しかも、常務が出てくるほどのモメ事を起こした人間を忘れるなんて、
人事課は相当に緊張感のない職場なんだろう。
2008年7月31日木曜日
2008年7月24日木曜日
オヤジに裏切られた気分
面接の際のS取締役の話では
「本社での研修は3ヶ月」だったが、
7月の時点で”半年くらい”に延長、と通告された。
ただし、スケジュールも何もない状態で、
”約半年”と言われても、会社の意図は分からない。
さらにその後、”年内一杯”と言われた。
つまり7ヶ月の研修という事になる。
タイで使える人間になるためには
7ヶ月の研修では短すぎると思っていたから、
俺はもっと密度の濃い研修を希望していた。
ただ、幸い俺は金に困ってなかったけど、
毎月の給料をもらわないと生活できない奴なら
どうなっただろう?
まさか、本当に俺が金に困ってないかどうかを
確認するために無意味に延長したのでもあるまいし、
給料について会社は何らかの説明をすべきだろう。
(別に説明を求めていたのではない。
説明するのが当然であり、会社の義務であるという意味です)
3ヶ月なら無給でも耐えられたとしても
7ヶ月なら耐えられるかどうか分からない。
少なくとも、普通の人はそういう待遇は
嫌なんじゃないだろうか?
実は会社を辞める直前に知ったのだが、
日本サイドでは俺の待遇を心配してくれていた人も居たようだ。
いつまでも給料を払わなくていいのか?
という問合せに対し、タイのS取締役は
「いいって!そんなの、放っておけ!」
と回答したのだそうだ。
本当かどうかは定かではないが、
その後のS取締役の態度を見れば分からなくもない。
俺はタイで現地採用で雇われたとき、
こう思っていた。
「日本では雇ってもらえなかった俺を拾ってくれたのは
タイのSさんだ。だから、Sさんは俺のオヤジだ。
どんなに理不尽な事を言われてもSさんには逆らわない。
オヤジの言う事は絶対だ。
オヤジに逆らうときは、会社を辞めるときだ」
俺はそこまでSさんについていこうとしていたのに、
Sさんは俺の事をそんな風に思っていたらしい。
俺はSさんを尊敬していたが、
約2年後にSさんにも失望してやめるとは
当初は思いもしなかった。
しかし、うっすらと「?」と思う点があった。
”年内一杯、日本で研修”と言われたが、
Sさんがタイ駐在を解かれ、11月に日本に戻ってからすぐに
「もうタイに行ってもいいだろう。
現地で、現場で覚える方がいい」
と、Sさんは言い、
11月一杯で日本での研修を終えることになったのだ。
つまり、Sさんは
自分のもとに俺を置いておきたくなかったんじゃないか、
と俺は勘ぐった。
自分のもとに居なければ、俺が問題児だったとしても、
採用した自分は責任逃れしやすいからだ。
あるいは、Sさんも妙にカンが働く人だ。
野性のカンで本能的に、
後々問題の種になる俺を遠ざけていたのかもしれない。
「本社での研修は3ヶ月」だったが、
7月の時点で”半年くらい”に延長、と通告された。
ただし、スケジュールも何もない状態で、
”約半年”と言われても、会社の意図は分からない。
さらにその後、”年内一杯”と言われた。
つまり7ヶ月の研修という事になる。
タイで使える人間になるためには
7ヶ月の研修では短すぎると思っていたから、
俺はもっと密度の濃い研修を希望していた。
ただ、幸い俺は金に困ってなかったけど、
毎月の給料をもらわないと生活できない奴なら
どうなっただろう?
まさか、本当に俺が金に困ってないかどうかを
確認するために無意味に延長したのでもあるまいし、
給料について会社は何らかの説明をすべきだろう。
(別に説明を求めていたのではない。
説明するのが当然であり、会社の義務であるという意味です)
3ヶ月なら無給でも耐えられたとしても
7ヶ月なら耐えられるかどうか分からない。
少なくとも、普通の人はそういう待遇は
嫌なんじゃないだろうか?
実は会社を辞める直前に知ったのだが、
日本サイドでは俺の待遇を心配してくれていた人も居たようだ。
いつまでも給料を払わなくていいのか?
という問合せに対し、タイのS取締役は
「いいって!そんなの、放っておけ!」
と回答したのだそうだ。
本当かどうかは定かではないが、
その後のS取締役の態度を見れば分からなくもない。
俺はタイで現地採用で雇われたとき、
こう思っていた。
「日本では雇ってもらえなかった俺を拾ってくれたのは
タイのSさんだ。だから、Sさんは俺のオヤジだ。
どんなに理不尽な事を言われてもSさんには逆らわない。
オヤジの言う事は絶対だ。
オヤジに逆らうときは、会社を辞めるときだ」
俺はそこまでSさんについていこうとしていたのに、
Sさんは俺の事をそんな風に思っていたらしい。
俺はSさんを尊敬していたが、
約2年後にSさんにも失望してやめるとは
当初は思いもしなかった。
しかし、うっすらと「?」と思う点があった。
”年内一杯、日本で研修”と言われたが、
Sさんがタイ駐在を解かれ、11月に日本に戻ってからすぐに
「もうタイに行ってもいいだろう。
現地で、現場で覚える方がいい」
と、Sさんは言い、
11月一杯で日本での研修を終えることになったのだ。
つまり、Sさんは
自分のもとに俺を置いておきたくなかったんじゃないか、
と俺は勘ぐった。
自分のもとに居なければ、俺が問題児だったとしても、
採用した自分は責任逃れしやすいからだ。
あるいは、Sさんも妙にカンが働く人だ。
野性のカンで本能的に、
後々問題の種になる俺を遠ざけていたのかもしれない。
2008年7月17日木曜日
人事課長がお風呂へ誤りに来た
俺がキレル直接の原因となったのは
人事課長の発言だった。
その後も、人事課長とは何度か廊下ですれ違ったりしたが
俺には目も合わせず、
怒っているのか反省しているのか判らない態度だった。
盆休み明けの週末、会社のゴルフコンペがあり、
ホールアウト後に風呂に入っていると、
件の人事課長も浴室に入ってきて、
卑屈な目で俺に近付いてきた。
俺と一緒に湯に浸かっていた同僚T君は、
課長の意図を察して逃げるように去っていった。
課長はそれまでとは違って、
平身低頭、お詫びの言葉を発し始めた。
但、取って付けたような言い訳も忘れずに言う。
「ヒラの日本人でも、タイでは課長待遇なのですよ。
例のクジ引きは課長職以上は権利がないんです。
岡村さんの場合もそれにあたると思っていたので・・・」
(余計な事を言わなきゃいいのに)
と俺は思った。
一言謝ってくれればそれで気は済むのだ。
余計な理由を言うから、わだかまりは解けないのだ。
理由を言うということは、
自分の正当性を主張する事に他ならない。
心から反省しているのではない、と感じれば、
全てを水には流すこともできない。
彼の発言を許してはいるが、
反省していないようだから、たぶん俺は忘れないだろう。
しかし、いつまでも密着されていてはウザイので
「もう、いいですから。分かりましたから」
と俺は言って、早々に浴室を出た。
翌週の8月27日、人事部長がやってきて
6月と7月の研修手当として12万円を支給してくれた。
又この時、
タイ~日本本社までの旅費も払ってくれた記憶があるが
当時の日記にはその記載がない。
ハシタ金なのでどうでもいい事だが、
会社の名誉のためにも”確かに支給してくれた”
と書いておこう。
一応、常務の言う通り、
「ちゃんと」やり始めたのか、と思ったが、
あまり期待しないつもりでいた。
人事課長の発言だった。
その後も、人事課長とは何度か廊下ですれ違ったりしたが
俺には目も合わせず、
怒っているのか反省しているのか判らない態度だった。
盆休み明けの週末、会社のゴルフコンペがあり、
ホールアウト後に風呂に入っていると、
件の人事課長も浴室に入ってきて、
卑屈な目で俺に近付いてきた。
俺と一緒に湯に浸かっていた同僚T君は、
課長の意図を察して逃げるように去っていった。
課長はそれまでとは違って、
平身低頭、お詫びの言葉を発し始めた。
但、取って付けたような言い訳も忘れずに言う。
「ヒラの日本人でも、タイでは課長待遇なのですよ。
例のクジ引きは課長職以上は権利がないんです。
岡村さんの場合もそれにあたると思っていたので・・・」
(余計な事を言わなきゃいいのに)
と俺は思った。
一言謝ってくれればそれで気は済むのだ。
余計な理由を言うから、わだかまりは解けないのだ。
理由を言うということは、
自分の正当性を主張する事に他ならない。
心から反省しているのではない、と感じれば、
全てを水には流すこともできない。
彼の発言を許してはいるが、
反省していないようだから、たぶん俺は忘れないだろう。
しかし、いつまでも密着されていてはウザイので
「もう、いいですから。分かりましたから」
と俺は言って、早々に浴室を出た。
翌週の8月27日、人事部長がやってきて
6月と7月の研修手当として12万円を支給してくれた。
又この時、
タイ~日本本社までの旅費も払ってくれた記憶があるが
当時の日記にはその記載がない。
ハシタ金なのでどうでもいい事だが、
会社の名誉のためにも”確かに支給してくれた”
と書いておこう。
一応、常務の言う通り、
「ちゃんと」やり始めたのか、と思ったが、
あまり期待しないつもりでいた。
2008年7月10日木曜日
No.2 の男がちゃんとやる、と言うから
この釜飯屋で常務がカミングアウトしたのだが、
日本本社で俺を雇うな、と指示したのは常務だったそうで、
その理由は俺の出身地のせいだった。
俺の本籍がライバル会社の近くだったので、
産業スパイの可能性があるというのがその理由だった。
(近いといっても車で30分もかかるのだが)
そういった事もいろいろゲロしたうえで、
「これからは、ちゃんとするから!
この会社No.2の俺が、ちゃんとやると言ってるんだ。
お前の事は、これからは間違いなくキチンとやる!」
とか、
「今までのお前を見ていてわかった。
お前は仕事ができる奴だ。
だから、今、低迷している●●部門の建て直しをやってもらいたい」
*これ↑は買いかぶりではあるが
釜飯屋と場末のスナックとで、
延々と「本気で仕事に取組む人材」の重要性を
コンコンと聞かされた。
どこまで本当の話かは分からないが、
引きとめ工作にかかり始めたのだった。
いまさら調子のいい話をされても、
今までに受けた失礼な対応を水に流せるほど、
その時点の俺は寛大にはなれなかった。
だがその夜、常務は何度も
「頼む!辞めないでくれ」
と頭を下げてきた。
ここまでNo.2の男に言われれば、
常務を信用してもう一度だけやってみてもいいか、
と思い始めた。
だがとりあえず、その夜は返事を保留したまま帰って寝た。
翌朝、始業前に自室から部長に電話して
「常務の言う事を信じてとりあえず、
もう一度やる事にします。
但、心の中にわだかまりが残っているので
今日1日休んで、明日から出勤しますから」
と連絡した。
その後、「ちゃんとやる」とは、
どういう事を意味するのか期待せずに待っていたが、
実際にはあまり変わらなかった。
日本本社で俺を雇うな、と指示したのは常務だったそうで、
その理由は俺の出身地のせいだった。
俺の本籍がライバル会社の近くだったので、
産業スパイの可能性があるというのがその理由だった。
(近いといっても車で30分もかかるのだが)
そういった事もいろいろゲロしたうえで、
「これからは、ちゃんとするから!
この会社No.2の俺が、ちゃんとやると言ってるんだ。
お前の事は、これからは間違いなくキチンとやる!」
とか、
「今までのお前を見ていてわかった。
お前は仕事ができる奴だ。
だから、今、低迷している●●部門の建て直しをやってもらいたい」
*これ↑は買いかぶりではあるが
釜飯屋と場末のスナックとで、
延々と「本気で仕事に取組む人材」の重要性を
コンコンと聞かされた。
どこまで本当の話かは分からないが、
引きとめ工作にかかり始めたのだった。
いまさら調子のいい話をされても、
今までに受けた失礼な対応を水に流せるほど、
その時点の俺は寛大にはなれなかった。
だがその夜、常務は何度も
「頼む!辞めないでくれ」
と頭を下げてきた。
ここまでNo.2の男に言われれば、
常務を信用してもう一度だけやってみてもいいか、
と思い始めた。
だがとりあえず、その夜は返事を保留したまま帰って寝た。
翌朝、始業前に自室から部長に電話して
「常務の言う事を信じてとりあえず、
もう一度やる事にします。
但、心の中にわだかまりが残っているので
今日1日休んで、明日から出勤しますから」
と連絡した。
その後、「ちゃんとやる」とは、
どういう事を意味するのか期待せずに待っていたが、
実際にはあまり変わらなかった。
2008年7月3日木曜日
常務取締役が出てきた
夕方になり、常務から電話があった。
「ちょっと出て来いや。詳しくワケを聞かせてくれ」
と言う。常務の言う事を無碍には断れず、
定時後に常務室へ行った。
以前、俺がセッティングしてやった某社(以下、T社)とは
一度商談に行っただけで放置していたらしい。
(いろいろ考えはあるんだろうけど・・・
せっかく商談できるようにしたのに・・・)
実はこの会社と、俺が昔働いていたT社は
俺が口を利かなければ交渉することはありえなかった。
以前、この会社が絶好調の時、
T社の方から接触した事があったのだが、
この会社はOEM専業の会社であるにも拘らず、
失礼な言い方でT社からの注文を拒否した事があった。
以来、T社はその件を根に持っていて、
この会社と取引する事はありえない、と公言していたし、
業界でそれを知らない者は居ないくらいだった。
それを交渉できる段階まで俺が事を運んでやったのに・・・
業績が落ち目になりつつある今、
昔のような殿様商売をまだ続けるつもりだろうか・・・
と心配になったものだった。
常務室では仕事の話ばかりで、
俺が辞める事など気にしてない風だったが、
30分ほど経ち、メシ食いに行こう、という事になった。
近所の雰囲気のいい釜飯屋だった。
幹部候補と目されている、俺より若い課長と、
ジグ班の主任とが合流して計4人だった。
「ちょっと出て来いや。詳しくワケを聞かせてくれ」
と言う。常務の言う事を無碍には断れず、
定時後に常務室へ行った。
以前、俺がセッティングしてやった某社(以下、T社)とは
一度商談に行っただけで放置していたらしい。
(いろいろ考えはあるんだろうけど・・・
せっかく商談できるようにしたのに・・・)
実はこの会社と、俺が昔働いていたT社は
俺が口を利かなければ交渉することはありえなかった。
以前、この会社が絶好調の時、
T社の方から接触した事があったのだが、
この会社はOEM専業の会社であるにも拘らず、
失礼な言い方でT社からの注文を拒否した事があった。
以来、T社はその件を根に持っていて、
この会社と取引する事はありえない、と公言していたし、
業界でそれを知らない者は居ないくらいだった。
それを交渉できる段階まで俺が事を運んでやったのに・・・
業績が落ち目になりつつある今、
昔のような殿様商売をまだ続けるつもりだろうか・・・
と心配になったものだった。
常務室では仕事の話ばかりで、
俺が辞める事など気にしてない風だったが、
30分ほど経ち、メシ食いに行こう、という事になった。
近所の雰囲気のいい釜飯屋だった。
幹部候補と目されている、俺より若い課長と、
ジグ班の主任とが合流して計4人だった。
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