2008年9月25日木曜日

失礼なタイ人工場長代理PK

俺が丁重に、深々とお辞儀して挨拶したのに対し、
タイ人の工場長代理(?)PK氏はジロッと俺を睨んで
「フンッ!」と顔をそむけた。



「えっ・・・?!」

初対面の人間の挨拶に対する
あんな応え方があるだろうか?


もしかしたら、顔をそむけたのではなく、
”アゴをしゃくる”という、
無言の何かの指示なのかもしれないが、
無礼な態度であることには変わりない。


なぜなのかは当時、分からなかったが、
”タイで就職つながり”のMさんにその話をすると、
「給料が高いからではないか」という事だった。

住宅手当込みの手取りで95000バーツなのだから、
現地採用としては多い方だったろう。

例えば、月給6万バーツといっても、
そこから税金や保険料等を天引く会社は多いからね。


タイ人幹部のPKは、
俺の給料が高い事が気に食わなかったのだろう、
という意見でMさんと一致した。


それ以外に、
会った瞬間から嫌われている、
もしかしたら会う前から嫌われている、
なんていう理由が見当たらない。


そういえば、日本本社で初めて面接したときも、
3時間の演説をやった人事部長が

「タイで現地採用の日本人が一人いるけど、
 彼の月給は4万バーツ。それが目一杯だ」

と言っていた。


もしそれが本当なら、
気に食わないのも肯けなくはない。


でも、4万バーツって、違法なんだけど。
違法労働はよくある事だけど、
上場企業がやる事ではないと思うが。
(当時の日本人の最低賃金は6万バーツ/月)



ともかく、この時の俺の気持ちは、
「これから頑張って認められればいいこと」
と、あまり気にしなかった。


が、それは甘い考えだった事が後に分かる。

この後、
さまざまな嫌がらせをPから受けることになるが、
この時点ではそんな事は知る由もなかった。

2008年9月18日木曜日

タイ現地法人へ初出勤

さて、タイで初出勤。

朝7時にロビー集合。
日本で会った事がある人も数人いる。

工場に着くと、他にも日本人が居た。
タイ人と結婚している人たちは、
他の一軒家やコンドミニアムから来ているのだ。

始業前、日本人は会議室に集まる。
そこで一通り挨拶した。


責任者Kが

「では工場を見て回ろうか」

と言ったが、俺は

「タイ人幹部の方にも挨拶しておきたい」

と申し出た。


俺は日本から来た駐在員ではなく現地採用なので、
形の上では俺の上司はタイ人幹部になるからだ。


Kは

「え?タイ人に挨拶するの?
 そんなの必要ねえけどな~。
 いや、無理には止めないけどさ、ハッハッハ」

なんか含みのある言い方・・・。


そして、オフィスの一番奥に座っているタイ人工場長代理
(正式にはそういう役職ではなかったらしいが)
に挨拶に行ったが・・・

2008年9月11日木曜日

タイへ赴任

さて、12月5日(金)の午後便で成田からバンコクへ。
到着は深夜1時前。

迎えの車は来ていたが、
通常、初めてタイの会社に行く場合、
付き添いの日本人も一緒に空港に出迎えるのがしきたりである。

しかし、到着が深夜になるので、俺の方から遠慮しておいた。


タイ人運転手が駐在員の常宿まで送ってくれたが、
夜2時を過ぎていたので俺を下ろしてサッサと帰っていった。

で、独りでチェックインしようとすると、
俺の名前の予約が入っていない。


会社名とその会社の人間で、
ココに泊まっている連中の日本人の名前を数人挙げ、
俺がその会社の人間であると信じてもらい、
なんとか泊まることができた。


部屋に入ると既に2時半。
疲れていたことだし、そのまま寝た。



翌日の土曜日、長いタイ生活のための準備。
まず両替と買い物。

スーパーリッチでは、1万円=3650バーツ。
現在よりもはるかにいいレートだった。

夕方、台北旅社に遊びに行き、その後はテーメーに。
(これはあまり書きたくないのだが、書かねばならない)


そこで1人ゲットして一緒に寝たが、翌朝・・・



翌朝10時すぎ、レセプションから電話があり、

「予約の宿泊客を泊めなければならないので
 今日の昼12時までに出て行け」

との事だった。


よく考えると、

「タイではOさんが日本人のまとめ役のような立場なので、
 会社に行ったらOさんと打ち合わせするように」

と聞いていただけで、
宿から会社までどうやって行くのか、
誰に話をすればいいのか知らされてなかった。


とりあえず、同じ宿に泊まっている事がわかっている
Tさんに内線で連絡し、何とかしてくれるように頼んだ。


これとて、寮でたまたまTさんと会って
一緒に飲んだりしてなければ、
彼が同じ宿に居ることすら知らず、
途方に暮れていたことだろう。

そういう意味ではギリギリの綱渡りと言えなくもない。


数十分後、Tさんが
タイ人の総務責任者Nさんに連絡を取って、
Nさんから宿に連絡を入れてもらい、
何とか泊まり続けていい事になった。


もう、ちょっとやそっとでは
何も感じない様になっていたが、
あまりの杜撰さに先行きの不安が増した。

ちなみに、後ほどTさんにお礼を述べに行くと、
部屋には居なかった。



翌日は日曜日。
夕方、美容院でカットして宿へ戻ると
Tさんと、俺が所属する部門の責任者Kがメシ食っていた。

このKがタイでは責任者である、
という事すら知らされてなかったのも
会社のデタラメなところだ。


ともかく、彼らはメシの後、
「カラオケに行くから一緒に」
と誘ってくれた。

俺はもちろんその種の遊びは嫌いではないから、
行って見たが、いかにも貧相なカラオケ屋で、
なぜこんな店に通っているのか理解できなかった。

が、”翌朝”の支払いの際に分った。
カラオケにしては安いのだった。

ま、でも、ペイバーの後、
俺が嫌いなラチャダーのディスコに全員で行き、
俺が多目に払ったので、トータルでは全然安くないのだが。

2008年9月4日木曜日

友人を大事にしましょう

さて、10月中旬まで溶接の研修、
中旬以降は「後工程」の研修だったが、
どうも10月からの研修の工程では、
重苦しい空気を感じていた。


それをT君に話すと、

「アソコの工場自体に、悪い空気が流れてますからね~」

との事だった。


どうもこの会社は雰囲気が暗い。
何だろう?確かに、ダメな空気が流れている。

今まで働いた会社で、
あんなに暗い雰囲気に遭遇したことがない。


今、敢えてアドバイスするなら、
「もっと明るい会社の雰囲気作りをしなさい」
というのがまず1番に来るだろう。


11月からは最終工程の研修に入った。
ここも雰囲気が暗い。


そんな11月の中旬、
駐在を解かれて日本に帰国したSさんに呼ばれ、
その場で「12月早々にタイへ行くよう」命じられた。

またその際、給料について、もう一度提示された。

月給は7万バーツにアップする。
加えて、住宅手当として25000バーツを支給。

合計95000バーツだから、
駐在員と比較するとそれでも半分くらいだが、
俺が受けた屈辱への謝罪と、マジメに研修を受けた事、
また、部長⇒常務へと提出したレポート類、
商談のキッカケなどを作った功績などを評価するという
意味が込められていたのだと受け取った。

ちなみに当時の為替レートは B=2.7円程度。


さっそく、大学の卒業証明を郵送で徴求し、
ノンイミグラントBビザとWP取得の準備にかかった。

今はBビザ取得の前、或いは同時に
ワークパーミットの申請をするようだが、
当時はBビザを取得し、タイ入国後にWPの申請をするという手順だった。

11月26日に目黒のタイ大使館に行き、
書類を提出して帰る。

2日後に会社宛にビザが貼られたパスポートが戻ってきた。



11月29・30日には俺の送別会が催された。
29日の方では、酔いも手伝って、言わなきゃいいのに、
俺が受けてきた仕打ちをつい喋ってしまった。

人事部の連中と仲のいい人間もその中にいて、
人事課長の発言内容などを聞いて飛び上がって驚いていた。

この平和な日本で、
そんな屈辱的待遇を受けている人間(俺)がいるという事に
驚きを禁じえないようだった。


30日にはタイ人研修生も参加してくれたし、
普通の人たちはとてもいい奴だというのを再確認できた。

屈辱を受けてきたからこそ、
いい奴らと飲んでいると、
友人・仲間のありがたみが身に沁みる。


これはタイに住み始めてからも言えることです。
例え、沈没生活でも、リタイヤ生活でも、
友人が居なければ楽しい人生は送れないのです。

”在タイの友人”はドンドン減っていきますから、
タイでリタイヤ生活を送る事を夢見ている人は、
友達の輪を拡げる事を意識しておくべきです。

(いろんな事情で帰国してしまう人が多いんです)