2009年1月29日木曜日

タイ人ワーカーをバカにしすぎ

受注が減り、
タイ法人の赤字拡大が確実となったため
コストダウンが至上命題となった時期があった。

仕事がなくてワーカーがブラブラしている。

一時的なレイオフ・自宅待機も止むを得ない。
自宅待機させれば給料4割カットできる。

それほど危機的状況だったので一応の理解はできるが、
しかし、
日本人責任者の言い方が俺は気に入らなかった。


「給料4割カットでも、タイ人はやっていける。
 田舎に帰れば1食10バーツだから問題ない」

「アルバイトすれば生活できる」


ダメ社員を自ら辞めていくように仕向ける作戦として
”敵を欺くにはまず味方を欺け”的な作戦として言っていたなら
まだしも納得できるが、そこまで考えて発言する男ではない。


一時的に田舎に帰っても
バンコクのアパート代は払っておかねばならない。

子供と一緒に住んでいるワーカーなら、
子供の学校はどうするのか?

妻、あるいは夫が別の会社で働いている場合、
ウチの会社のワーカーだけが田舎に帰るのか?

タイ人ワーカーを何だと思っているのか?
動物とでも思っているのだろうか?

この発言をした奴に対して、
後年、俺は徹底的に反抗した。

俺の足を引っ張るだけでなく、
人間的にもクズだからだ。

結局、いろいろあってその男は降格、
日本へお帰りとなったが、
コイツを見ていて思ったのは、

「ウチの会社では声がデカイ奴が勝つ」

だった。

2009年1月22日木曜日

嫌がらせ具体例と、醜い引き抜き

かなり話は遡るが・・・工場長代理PKの嫌がらせ。


俺の部下を一言の相談や事前通告なしに
他の部署へやられた。

また同時に、
俺と別部署の日本人(部長クラス)ともう一人の駐在員の3人で打ち合わせて決めた人材抜擢を、これも勝手に反故にされた。


「なんで一言の相談もなく、私の部下を動かすのか?」

と質問すると、一笑に付された。
「私の部下」という言葉を聞いて笑ったのだ。


岡村には部下など居ない、と言いたげな顔で笑ったが、
これがPKを疑い始めることになる最初の嫌がらせだった。


(実害はないからいいんじゃない?)

と読者は思うかもしれないが、
いろいろ教え込んだ部下を相談もなしに

「今日から即日、異動させる」

などと言われては、業務が立ち行かない。

(コレは赴任2ヵ月後頃の事)



この人事についての嫌がらせの理由は、
俺と、もう一つの部署の考えが、
PKと”PKの仲のいい日本人H”との利害に反するから、だった。

「PKの仲のいい日本人H君」とPKの仲は、
<<検討の末、プライバシーを考慮して3行削除しました>>
<<検討の末、プライバシーを考慮して3行削除しました>>
<<検討の末、プライバシーを考慮して3行削除しました>>
このような経緯で、PKとH君との間には固い絆があった。


逆に俺は(恐らく)給料が多いという理由で
PKに嫌われている。


猛烈に俺とO君とで抗議した。
「部長(格の日本人)Yさんと話ができている」
というと、PKはいったん引き下がって、
俺の部下は戻してくれた。


しかし次に別の部署から・・・


タイの支配者Sをバックにつけている
SDAが、俺の部下を欲しがって、支配者Sに直訴した。


俺はなぜか分からぬまま支配者Sに怒られ、
最も優秀な部下を取り上げられた。


まだこの頃、支配者SとSDAの関係を
俺は知らなかったのだ。


話は戻るが、
こんな”嫌がらせ”というか
現地採用の俺を無視したやり方はほんの序の口だった。

2009年1月15日木曜日

コツコツ努力する事が生き残りに必要

機械はよく壊れる。

だから、いろんな機械に精通していて、
すぐに調整や修理ができる人は重宝される。

逆に、どんなに理論を理解していても、
機械が壊れたらお手上げ、という人は
理論だけで生きていくだけのモノを持っていなければならない。


また、生産計画は、機械のキャパ100%で組むのは危険だ。

多くの機械を使う工場で働く人は
その辺りを考えて自分を成長させていかねばならない。

(知識を磨くのか、口が達者になるよう努力するのか、
 自分の業務にもよるので、「成長」という言葉を使った)



かといって、機械などを使わない事務系の仕事は
体を使わない分、頭と口で勝負しなければならない。


タイで働くには、タイ語は必須だ。
タイ語がダメでも、せめて基本的な英語力がないと
タイでは不要な人材となり、おはらい箱になる。


タイで働いている外人は多いが、
プライベートな時間を遊びだけに使う人は
すぐに行き詰る。

逆に、あまり賢くなくても、
コツコツとタイ語や仕事に関する知識を蓄積していく人は
次第に伸びて頭角を発揮することになる。


よく言われることだが、
タイに1年駐在するだけで、
最新の技術から相当に遅れてしまう。

タイがダメなのではなく、
タイは量産工場であるから、
日々の業務に追われて最新のテクノロジーを学ぶヒマがない、
というのが本当のところだろう。

遊ぶ事しか考えない人は、ダメになる。
これを肝に銘じておくべきだ。

今後、凄まじい勢いで
世界の勢力地図が塗り替えられていくはず。

遊んでばかりの人は
すぐに負け組になるのが目に見えている。

タイで沈没中の人も、
たまには将来について考え、自己啓発に努め、
自分を成長させていくことを考えるといい。

2009年1月8日木曜日

日本人でなければ、できない業務も

(先週のつづきです)

・・・と、口で言うのは簡単だが、
実際にはなかなか大変である。

日本本社の手落ちで
必要な物が届かない場合、
やはり日本人同士で話す必要があるからだ。

新製品の場合、どういう物が必要なのか、
タイに居る人間には分からない。

だから、”何が届いているか”は見れば分かるが、
”何が足りないのか”は分からない。


更に、
日本から発送していても、
空港(税関)で止まっている場合もあれば、
空港から工場までの輸送に問題ある場合もある。
更に、間違えて別の工場に届けた、という事も多く、
これらを全てチェックするだけでもかなりの時間を要する。

俺は普段は言いたい事をズバリ言う方なので、
逆にこういう、どこに問題があるか分からない場合は
いつも下手に出て、まずタイ側の調査をするようにしていた。

日本側では、物流担当者が休むことが多く、
ホントに発送したかどうか
確認できないことが多かったからでもある。


探しまわった結果、

・空港で止まっている、 という場合と、
・日本が発送してなく、かつ、未発送の連絡もない、

という2通りのパターンが多かった。


このような事態は、
タイ語が話せない人には苦痛であろう。
通訳をつけてもらわねば、解決不可能と言ってもよい。

乙仲などの通関業者とタイ語で話さねばならないのだ。
あるいは、それらを一手に引き受けてくれている
下請けとタイ語で確認しなければならない。

しかも、もしかしたら、
日本から発送されてないかもしれないのだから、
あまりギャーギャー言うこともできない。

日本本社がダメだと、タイ駐在は本当に苦労する。

2009年1月1日木曜日

生産管理は、まずは日本が

「なんでスケジュール通りにできないんだ?!」

と上司に怒鳴られることが多かったが、
理由を言うと日本本社の悪口になるので
言い返さないのが暗黙の了解事項だった。

スケジュール通りに生産しようにも、
日本から材料、工具類や仕様書が届かない。

特に材料は
予定通りに届くほうが珍しいほどだった。
(もちろん、遅れて届くのだ。遅れる理由を後年に知り、
 資材部を責める事はできないと分かるが、
 だからと言って毎度遅れた責任をタイに取らせるのも・・・)

これではスケジュール通りに作れ、
という方が無理だ。

サンプルも届かない事がしばしばで、
よく会社として成り立っているもんだと感心する。



また量産についても、
製造においてスペックのバラツキが大きい物を扱っており、
手直し・修正が何度も何度も必要で、
スケジュール通りにいかないのが常だった。

修正の手間暇を考慮せずに
生産スケジュールを組むから、
ドンドン遅れて当たり前である。


だから、マシニングセンターなどの機械に
予定を入れていても、
予定通りに物を送ることができない。

これは生産管理上の大問題で、
日本人駐在員に管理させるのは事実上無理だった。

日本人駐在員は日勤の者しか居ないが、
工場は2交代で動いている。

日本人駐在員がいない夜間の機械のスケジュールは
タイ人にやってもらわねばならない。

必ず、手直し等で遅れるので、
機械を管理している奴らに逐一、状況報告しないと
他のブツにも影響を与えるからだ。


ところが、日本人幹部は
怒るときは日本人だけを怒鳴る。

怒鳴るのが仕事だと思っているようで、
・なぜできないのか、
・どうすればできるのか、
を真剣に解決する気のない人だった。


「なんとかせいや!」

が口癖で、
それで15年間、何とかやってきたので
それでいいと思っているのだろう。

もちろん、”納期を守る”だけが幹部の仕事ではなく、
その他もろもろの業務で忙しいのは分かるが、
15年も「なんとかせいや!」と怒鳴るだけでは
まともな組織はできないはずだね。


タイ工場へ頻繁に出張する有能な中堅の某氏などは

「(日本人幹部Sさんは)タイには要らない」

と発言していて、
この発言は会社の隅々に知れ渡っていたほどだった。